気まぐれ日記 2024年9月

2024年8月はここ

9月1日(日)「算額見学中の不幸・・・の風さん」
 大会2日目。台風の影響が心配で、外を見ると、雨は降っていない。このままであればありがたい。
 朝食のためにレストランへ。大会の参加者以外の客もいる。台風の影響を受けている人も含まれているかもしれない。
 会場近くにとめたキャメロンにキャリーバッグを入れて、身軽になってから会場に入った。午前中は、市民講座とポスターセッションという密度の高いプログラムである。1本目の講演を聞いて、郷土愛に感銘を受け、2本目はパスしてポスターセッションへ行った。講演中なので見学者はほとんどいなかったが、ここでは交流を深めるべき人物がいたので、初参加の小野友五郎を伝えてゆく会の副会長と一緒に話を聞いた。私自身、初めて知ることが多く、勉強になった。それに基づいて、伝えてゆく会のためのアイデアもいくつか浮かんだ。あと一つ、早稲田大学からの参加も面白かった。中国人の方が担当だった。拙著を持っていて、あとでサインすることになった。
 昼食の弁当を食べた後、バスで算額見学会に参加した。これも4か所を回る密度の濃いもので、それぞれの算額の内容より、和算という文化を保存、継承していく重要性を再認識した。一か所のお寺で住職から説教されたのは良い思い出になった(笑)。
 一方、この見学会の間に、私には不幸が二つ訪れた。一つは、蚊に何か所か刺されたこと。必死に痒さを我慢してかかなかったので、悪化しなかった。もう一つは、履いていた靴が壊れたこと。底が剥がれかけたのだ。この靴は、今回のために長靴と一緒に用意した悪天候対策のトレッキングシューズで、京都の山に登った時利用したものだ。同じ経験は、かつて東京のセイコー時計ミュージアムを訪れたとき、駅から歩いている途中で発生した。長年履いた靴だったので、仕方なく、底をベリっと剥がして、変な歩き方になりながらも、歩き続けた。今回は、底が大きく口を開けないようにそろそろと歩くことにした。まだそんなに履いていないのに。
 全ての大会スケジュールが完了し、私は次のホテルへ向かった。途中、何度も黒雲の下に入り、土砂降りになった。台風はまだ油断ができない。

9月2日(月)「2つのミッションを完了・・・の風さん」
 ホテルをチェックアウトして外へ出たら、日差しが強い。キャメロンに荷物を入れたが、キャメロンも熱い。暑い1日になりそうだ。
 しかし、今日も重要なミッションがある。頑張らねば。
 次の目的地までナビは8kmと表示しているが、なかなか着かない。一般道は田舎道でない限り、所要時間がかかる。
 住宅街に教えてもらっていた目印「やきいも」の看板を発見した。後で判明したのだが、この看板の建物が知人宅で、実際に焼き芋を焼いて売るのだという。驚いた。
 お互いに忙しい身なので話は率直に行った。意外と早く目的の品物にたどり着くことができ、驚きを通り越して感銘を覚えた。実は、この探し物が知人宅にあるという見込みは極めて低かったのだ。
 ほぼ目的を達成した私は、今後の課題の大きさや多さを想像しながら、今日は引き取ることにした。
 次の目的地のホテルまでは全て一般道だった。日差しは猛烈に強く、キャメロン内で熱中症になりそうだった。ホテルの手前で満タン給油しておいた。明日は家路につくことになる。
 チェックインして冷房の効いた部屋に入り、生き返った気分だった。部屋の作りが古風で、変わったホテルだ。しかし、アクセスは良いし、駐車場も無料なので、穴場かもしれない。今後のためしっかり記憶しておこう(と思ったが、すぐ忘れるんだな、これが)。
 エージェントへ連絡して、待ち合わせの約束をした。これが今回の旅の最後のミッションになる。
 近所の喫茶店で合流し、久しぶりだったので、公私含めて話題は尽きなかった。
 肝心の私の原稿に対しては、前回と同様の指摘があった。私の考えを伝え、エージェントから整理した形で改めてフィードバックをもらうことにした。
 このエージェントとは、今月、北海道で会うことになる。楽しみだ。その前に、北海道料理の店へ移動して、ワインを飲みながら、さらに歓談した。

9月3日(火)「帰宅しても忙しい・・・の風さん」
 旅行の最終日。ホテルの部屋からカーテン越しに外を見ると明るそうだ。うちでは見ないテレビをつけたら、天気予報をやっていた。東京の渋谷の様子で、少し雨がポツポツ降っていて、湿度が91%だと!
 ここの朝食はホテル外である。徒歩数分のところにあるファミレスへ行き、チケットを渡してモーニングの一つを食べる。食べ終わったら、会計はせずに出て行く(これがちょっと気持ち悪い。何も悪いことはしていないのに)。
 ホテルへ戻り、少しだけ仕事をして、チェックアウトした。
 もう帰るだけなので、とても気が楽だ。来たときに通った道になり、東名の川崎インターからのった。横浜に近付くころから理由のわからない渋滞になり、やがて猛烈な雨が降って来た。台風は昨日のうちに熱帯低気圧になっているが、空というか大気は不安定なのだ。
 今日は通行止めはないので、新東名に入った。駿河湾沼津SAで狙ったお土産を買い、昼食に肉うどんを食べた。
 次は浜松SAでコーヒータイムと決めていたが、近づくと、また猛烈な雨になった。前方の視界が悪くなるほどで、多くのクルマが時速60kmくらいで走った。
 土砂降り以上で、雷鳴まで聞こえる中、浜松SAにピットインした。あまりの雨で、キャメロンから出られない。やがてウトウトしてしまった。
 目覚めたころ、雨が小降りになっていたので、長靴に履き替え、傘をさして、建物内に入った。お目当てのコーヒー店に入り、JAFの割引クーポンを使い、席について、店内の無料Wi-Fiに接続して、インターネットも利用した。そう。これらすべてが狙いだったのだ(笑)。
 あとは自宅までまっしぐらである。もちろん焦る必要はない。
 予定通り、日暮れ前に帰宅できた。豪雨でトランク内の荷物が濡れていたのには驚いた。
 ワイフに報告している間に、メールチェックを失念していて、慌ててチェックすると、重要なメールが届いていた。急いで返信したが、相手は退社してしまったらしい。
 とにかく明日はしっかり仕事をすることになった。雑務は今夜中にやっておくことにする。 

9月4日(水)「オンラインセミナーのテキスト作り・・・の風さん」
 明日予定されているオンラインセミナーは、既に開催が決定していたので、4泊5日の旅に出る前に、余裕をもって準備を終えていた。
 実は、来週も別の会社主催のオンラインセミナーが計画されていたが、募集が不調で、実施が危ぶまれていた。4日までギリギリ待つという状態で、もし開催となったら、6日の朝には印刷用のテキストデータを送らねばならなかった。
 そこで、旅に出る前に、可能な限りテキストの作成を続けていた。昨日も、帰宅途中でメールチェックしていたが、開催決定の連絡がなかったので、中止になりそうだと思っていたところ、帰宅して気付いたメールが、少人数でもやりませんか、だったのだ。期待している受講者がいるなら、やらねばならない。もう人生の残りは少ないのだ(笑)。
 昨夜から、テキスト作成の続きを始めた。初めて作るスライドが多いので、けっこう大変である。
 今日、一日かけて何とか完成させたいと張り切ってスタートした。ここまで話が長い(^_^;)。
 午前中は意外と順調に進んだ。寝ている時も考えていたので、方針がある程度決まっていたからだ。
 昼食後、一気に疲れが出て、リビングのソファで昼寝してしまったが、午後3時に起き出して、再開した。
 とにかくテキスト作成に集中した一日だった。
 午後11時過ぎにやっと全体の形が整った。明日は終日オンラインセミナーなので、完成は夜になるだろう。

9月5日(木)「まさかの半徹夜・・・の風さん」
 オンラインセミナー開始前にルーチンを終え、直前の接続確認も終え、コーヒーを机上に置いて、余裕で待機した。
 講演と違って、終日セミナーの記録は残していない。これまで何回やったか、見当もつかない。かつてはすべて対面だったし、グループ討議も含む形式が多かった。
 新型コロナのせいで、こういったセミナーも趣きが変わったと思う。オンラインが増えたし、対面でも録画などITの活用が当たり前になったと思う。先日、松岡弘一さんとの雑談の中で、カラオケファンが以前の半分くらいしか戻っていないと教えてくれた。失われたファンもいるということだ(まさか皆死亡した人ばかりではないと思うが)。
 今日のオンラインセミナーは、この会社主催では1年ぶりである。使用する会議ソフトは Teams で、機能的には Zoom とほとんど変わらない。マイクをオンにして質疑もするし、チャットも使って、講義を進めた。途中で1回接続が不安定になったが、すぐに復帰し、受講生に尋ねても問題なかったようだ。バックアップ用のモバイルWi-Fiを使用する必要もなかった。
 晩御飯の前に時間がとれたので、来週のセミナーのテキスト作成の続きをやった。細部の確認はほぼ終了した。
 晩御飯後、テキストの内容について、再チェックを始めた。今日おこなったオンラインセミナーで少し気になったことがあり、改善できるところは改善しようと思った。
 ところが、専門書を引っ張り出して確認していたら、私の記述に間違いがあることが判明した。私によくある、思い込みによるミスだった。訂正するというより、正確に修正しなければならなかった。使用しているグラフも含めての修正だったので、どんどん時間が消費されていった。
 修正を終えて、送付用PDFデータに変換し、メール添付で送信を完了したのは、午前2時近かった。
 実は、これで終了ではなく、10月の咸臨丸サミット記念誌向けの原稿の提出がまだだった。もう締め切りの時刻は過ぎていた。明朝までにやらねばならない。以前作成した原案を再読したが、それは使えなかった。事務局の依頼の主旨に忠実に応える必要があった。
 プロフィール原稿も含めて、送付を完了したのは午前4時だった。
 それからシャワーを浴びて就寝したわけで、半徹夜以上になってしまった。

9月6日(金)「サラちゃんのシェルター・・・の風さん」
 正午過ぎにいったん目が覚めたが、少しフラフラするので、また寝た。
 午後2時過ぎに起床。階下へ行くと、ちょうどワイフと長女がランチの準備をしていた。ワイフのトール教室が終わったからだ。
 3日の夜から里帰りしていた長女が、サラちゃんのシェルターを持ってきていた。自然災害で避難所へペットと一緒に避難できないため、止むを得ず自宅で過ごしているケースはよくある。犬の場合だと、自宅が倒壊していても、自家用車で犬と一緒に暮らしている人もいる。家族同様のペットだから、避難所へ行かないというケースはあるのだ。
 長女が持って来たシェルターは折り畳み式で、中にトイレを入れることもできるサイズである。備えあれば憂いなし、ということだ。
 ランチの間も、リビングに置いたシェルターをときどき眺める。サラちゃんはもう警戒していないし、中におやつを置けば平気で入る(笑)。面白がって天井にのぼったら、自分の体重で屋根の部分がへこんでビックリしておりた。
 晩御飯を近所のうどん屋で食べ、その後、長女をアクアで名古屋まで送った。私はずっと多忙だったので、あまり会話していなかったが、月末に長女は兄貴を訪ねるという。来月は母の十三回忌もある。兄夫婦はクルマで来る予定だが、なかなか大変である。長女は新幹線の利用を勧めるだろう。問題は荷物だな。私も荷物が多いと、どうしてもキャメロンで行きたくなる。しかし、いつまでもマイカーでのロングドライブはできない。そのうち仕事をセーブするときが来るだろう。やれやれ。
 起床が遅かったのに、いつも通りの時間に眠くなった(笑)。

9月7日(土)「やっと草刈り・・・の風さん」
 普通に起床したが、やがてワイフは実家へ出かけて行った。義母のケアのために姉妹で奮闘している。認知症がやや進行している以外は健康な義母なので、現状を何とか維持するために、現在検討中なのは、デイサービスとランチのデリバリーだ。どちらも専門家が運営しているので、業者的には心配ない。ポイントは義母にメリットがあるかどうかだ。
 認知症は本人が一番苦しんでいる。その苦しみを少しでも減らすために、さまざまなメニューが世の中には存在している。本人以外が冷静な頭脳で「これはいい」と思っても、本人が理解して受け入れられるとは限らない。
 認知症とはやや違うが、老化を受け入れられず、チャレンジして失敗している私に似ている(^_^;)。
 やっと草刈りに出動した。カンカン照りが続いて、雑草までが枯れかけていたが、台風のせいで息を吹き返した。長旅が帰宅してする草刈りするのがベストだったが、超多忙だった。
 フル装備で出動して、元気いっぱい草刈りを始めたが、3日ですべて枯れるかやや自信がないくらいの伸びようだった。
 昼食後、これも先送りしていた月初ルーチンに取り掛かった。レンジ台の掃除。鏡と配管の掃除。そして、3台の空気清浄機の掃除だ。それらが終わって、やっと毎日のルーチンをやった。
 干してあった洗濯物を取り込んで、サラちゃんにおやつをあげて、ツムツムを始めたころ、ワイフが帰宅した。
 初めてのランチのデリバリーのお試しをやった結果を聞いた。来週も義妹が行って、別の業者のデリバリーのお試しをする。その結果も見て、今後を決めることになる。義母にとって、メリットとデメリットそれぞれあって、決めるのはむずかしそうだ。
 老化を無視してまたチャレンジを企てている私は、夜中に、YouTubeで少し勉強してみた。私にとって何が課題なのか少し見えてきた。

9月8日(日)「今日も草刈り・・・の風さん」
 やっと35℃から解放されたか。名古屋の日中の最高気温が40℃近くならないと、当地は35℃をこえない。このところ、名古屋の最高気温は35℃前後である。35℃をこえないと猛暑どころか暑さを気にしなくなってきた。異常感覚(笑)。
 昨日に続いて屋外作業に出動した。家の裏側の壁にアシダカグモが昨日の姿勢のまま貼りついていた。やはり死んでいるらしい。もしかすると毒エサを食べたゴキを食べたために、毒エサの成分で往生したのかもしれない。ホウ酸団子系の毒エサなので、ゴキは脱水状態になって死ぬ。そうやって死んだゴキを食べたゴキも同様に死ぬという効果がある。アシダカグモもそれで死んだのかもしれない。南無阿弥陀仏。
 完全武装でバッテリー1個分を刈ったが、残っている雑草を見ると、あと1日の草刈りでは無理だ。恐るべき雑草の繁茂力。
 昨日より仕事量は少なかったのに、疲労感は大きかった。根性でルーチンを片付けた後、インスタントラーメンの昼食を摂り、しばしリビングの床でダウン。
 雑務の山が頭痛の種だが、一気にはとてもできない。ぶどう代金のスマホからの送金を含めて、片手で数えられるだけやるのが精いっぱいだった。
 その後、12月の出張セミナーのためのレジュメ作成に取り掛かった。5月に続く2回目で、テーマは全く別である。前回と同様に、レジュメを作成して事務局から先方へ送ってもらい、それを元にオンライン打ち合わせをおこなう。メッセージ性の高い内容なので、モチベーションは大いに盛り上がっている。
 結局、このレジュメの作成を終えて、事務局へ送付したら午前零時少し前だった。やれやれ。仕事がのろ過ぎる。

9月9日(月)「名作と似たことが・・・の風さん」
 キャメロンで外出。ATMをハシゴしたあと、町の電器屋さんへ書斎のエアコン工事代を支払いに行った。これまでは請求書が届くと速攻で支払っていた(簿記の勉強をすると、小規模のビジネスでは資金がいかに重要かわかる)。今回は、私が超多忙で、今日まで遅れてしまった。雑談をして次の目的地へ。最も近い酒蔵へお土産を買いに行った。
 帰宅し、昼食後、徒歩で投函に行ってきた。炎天下でちょっときつかった。近所の別荘が売られたらしく、改装工事中だ。噂では何かの店舗になるらしい。過疎地域に住む人間としては歓迎ムード。
 続いて、草刈りの3日目だ。当初の目論見では、1日多い3日ですべて刈れると思っていたが、たぶん無理。実際、そのとおりになった。優先順位に低い部分が残ってしまった。
 道具類のほとんどは毎回水洗いする。バッテリーも充電しておく。夕方、それらを片付けに行ったとき、面白いものを見た。家の裏の壁に貼りついたアシダカグモの死骸の横に、それよりほんの少し大きなアシダカグモが貼りついていた。あとでワイフに報告すると、死骸と思ったのは死骸ではなく脱皮した抜け殻ではないかと言う。へー、アシダカグモって脱皮するんだ。スマホで検索したら、脱皮前後のアシダカグモが出てきた。たしかに脱皮した抜け殻は死骸に似ている。体のすべてがほぼその形で抜け殻になっている。足に生えた毛までリアルに残っている。ただ色が薄いだけだ。
 ということは、ゴキの毒エサで死んだと誤解した私に、「大丈夫。私は生きているよ」と伝えるために、わざと壁に並んで見せてくれたのかもしれない。まるで名作『蜘蛛の糸』のような話だ。蜘蛛たちにも心がある。我が家の守り神、蜘蛛をこれからも大切にしよう。

9月10日(火)「この忙しさは何なんだ?・・・の風さん」
 昨夜雨が降った。今日もときどき降雨がある予報だ。これでは草刈りの4日目はできない。
 午前中、まとめ買いのためドラッグストアに走った。キャメロンのシートカバーは、適当なものがなかったので、エプロンを巻き付けてあった。さすがに12年も経過して、裂けてきた。何とかしないといけないが、忙しくなる一方だ。次回のまとめ買いは出かけているので、多めに購入して帰宅した。
 やることが多いが、少しずつでも片付けなければ。今日は健診の案内が届いていた、二つの病院を予約した。多忙の合間を縫って、タイミングをはかるのが難しかったが、とにかく予定を入れた。ひとまずホッ。
 明日のオンラインセミナーの資料をチェックした。新しい構成なので、初めて使うスライドもある。それらの完成度を上げつつ、2回通しでチェックした。休憩をはさんでの時間配分はおそらく思った通りにはいかない。これは本番で柔軟に対応するしかない。
 やはり、途中で小雨が降った。今日と明日は草刈りができないので、明後日、4日目をやることになる。しかし、その間にも草は伸びるだろうなあ。やれやれ(笑)。
 突然、月初ルーチンで忘れていたことに気付いた。2階の掃除だ。急遽、廊下部分の天井の染み取りの何回目かをおこなった。あと1回やれば、これは終わる。年内に2階の掃除は完了させたい。
 来月の予定を考えた。どうしても入れられない仕事を、出かけた時に連続でおこなうことにした。なので、1泊増える。
 しかし、異常な忙しさだ。出費がかさむだけなので、年内に破綻する恐れが高まった。このままだと、来年から活動自粛になる。やれやれ。

9月11日(水)「オンラインセミナーが無事終了・・・の風さん」
 普通に起床。久しぶりにミックスペーパーのゴミ出しをしてきた。以前、昼夜逆転の日々を送っていた時は、午前2時とか3時にとぼとぼと集積場まで持って行ったものだが、最近はそうでないので、8時前までには出そうと思った。ゴミ収集車は意外と早く来ることがあるので、ちょっと油断はできない。
 今日は終日のオンラインセミナーだ。先週はMicrosoftのTeamsのアプリで対応した。今週はZoomである。30分前に立ち上げようとしたら、更新しろとメッセージが出た。何度かトライしたがうまく行かない。時間がきたので、ブラウザで対応し、事務局に見え方など色々と確認した。ブラウザでも全く問題ないことがわかったので、これでいくことにした。
 長丁場なので、午前1回、午後2回の小休憩を予定している。今回は初めての構成なので、そのタイミングが予定通りにいくとは考えにくい。講義の進捗よりも、だいたい予定時刻になったら小休憩することにした。受講者の立場も何度も経験がある。講師がきりの良いところで小休憩をとろうとするとあまり良い感じはしなかった。なので、プログラム通りの小休憩というのを優先することにしたのだ。
 午前中の小休憩で、進捗は約20分近い遅れだった。昼休憩時点で遅れは5分に縮まった。午後の1回目の小休憩でまた遅れが大きくなり、2回目で小さくなり、最後はほぼ予定通りの時刻に終了させることができた(笑)。
 初めての構成だったが、意図していることを明確に伝えながら話したので、筋は通っていたと思う。午後は演習とクイズをたくさん入れたので、受講者は飽きることなくついて来られたと思う。クイズに対する回答が見事な正解で、とても感心した。最後の質問では、よくある難しい質問が出て、とりあえず用意した回答をしたが、もっと良い回答をいつも探している。
 それほどエネルギーを消耗せずに終日のオンラインセミナーを終えることができた。そうは言っても老体である。終了後のおやつを食べながら、まもなく疲労が追いかけるようにやって来た。
 以前、メルカリのキャンペーンでもらえるはずだったポイントがついてなかったと事務局から連絡が入ったので、そのポイントを使って必要な実用書を1冊購入した。自己負担は98円である(笑)。

9月12日(木)「また忙しくなってきた・・・の風さん」
 またまた忙しくなってきた。明日と明後日、出かけるので、午前中、 hairdye を強行した。出かける直前におこなうからこうなる。
 昨日のオンラインセミナーの請求書を作成して事務局へ送付した。インボイス事業者なので、消費税がのる。先方はその分を差し引く手続きがあり、当方は、下請けがないので、納税の手続きとなる。
 歩いて投函に行った。まるで真夏のような日差し。暑い暑い。
 夕方から3日連続後中断していた草刈りをおこなった。3日連続の初日で刈った部分がもう伸びていて、そこを中心に刈るだけで終わってしまった。4日連続でやれていたら、ほぼ終わっていたかもしれない。次は日曜日だな。
 エージェントから電話があり、先日送った原稿について、また相談した。幸い、依頼主からもういらないとは言われなかったそうで、書き直しのポイントをいくつか決めた。なるべく早く修正原稿を書きたい。
 今日は免許証の更新ハガキが届いた。先日、高齢者講習を受けていたので、更新時の講習はない。再来週、北海道でレンタカーを運転するので、来週中に更新しておきたいと思った。
 やれやれ。忙しすぎる(笑)。

9月13日(金)「今年は五大路子さんの50周年・・・の風さん」
 このところ現役時代のような仕事のやり方をしている。一つひとつやることの採算は考えない。目的指向で、使命を果たすため、自分にとっての最適な手段を実行するやり方だ。現役時代は優れた企業に勤めていたので、それがやれた。そして、そういう風にやらねばならなかった。だが、しかし・・・。
 現在はそんなやり方が通用するはずはない。なぜなら、そんなことをしていると遠からず経済破綻する(笑)。それは間違いない。まあ、年内をめどに、色々と撤退し、来年からは自粛した生活に入ろう。やれやれ。
 IT機器の準備万端整えて、ワイフに駅まで送ってもらって、出発。ワイヤレスイヤホンで久しぶりに英語を聴きながら名古屋へ。昼食のパン、続いてお土産を買って新幹線に乗車。不安定は新幹線Wi-Fiは見限ったので、モバイルWi-Fiを使って、iPhoneとiPadminiでメールや、原稿読みなどを続けた。仕事ができるようにこだまのグリーン席なのだが、周辺は家族連れでいっぱいになっている。ウィークデーなのに、ビジネスパーソンだけでない、プライベートと思われる客がなんと多いことか。働き方改革の結果? 十分に給料は増えていないと思うが、ライフスタイルは先進国の姿を追いかけている。こんなことでいいのだろうか。ボケ老人は心配性でもある。
 久しぶりに神奈川芸術劇場へ行った。五大路子さんの公演を鑑賞するためだ。横浜夢座25周年・五大路子舞台生活50周年記念の『富貴楼お倉〜華の湯に、風のように、海のように〜横濱から日本を動かした女』である。
 いやあ、実に楽しい舞台だった。時代背景は維新期で、横浜の料亭富貴楼を訪れるのは明治の政治家たちだから、憲法発布や不平等条約改正へ向けた、どろどろした権力争いが根底にある。しかし、そういったことを感じさせない人間描写が見事で、出演している多くの役者さんたちの存在感はしっかりしたもので、演技は輝いていた。舞台ならではなの、演技である。あまり知られていない人物の発掘という点でも感動した。
 これまでは、終演後、楽屋へあいさつに行っていたが、夢座のスタッフに声をかけたら、そういう人は多いらしく、ほとんどの観客が帰ったあと、入場口付近で列を作って待たされた。私はしんがりの方に並んだ。このへんは、昨年の神田紅さんの芸道50周年を鑑賞に行ったときと一緒だ。
 やがて、私の順番になったので、見えないところからバアーッといった感じで現れたら、五大さんも大喜び。感動したという感想を述べ、ツーショットをたくさん撮った。話したいことはまだあったが、公演が一段落したら電話するとだけ伝えた。
 来た時と逆のルートで家路についたが、このあたりは横浜開港時代が発展してこうなったのだ。年内に、用事でまた来ることになる。
 帰宅し、残っていた明日の準備をして早々と就寝した。

9月14日(土)「数珠に守られて・・・の風さん」
 6時15分に気合で起床。7時からの地域の草取りに参加した。それほど暑くはなかったが、空調服のバッテリーが弱って来て、風力が自動的に弱に落とされたので、かえって暑くなった。いつものように、40分ほどで終了した。
 帰宅して今日も出かける準備。朝食のパンを急いで食べた。ワイフに駅まで送ってもらい、昨日と同様に、IT機器を携えた万全の態勢で出発。お土産は事前に準備してあったので、名駅でコーヒーだけ買って、新幹線乗り換え口へ向かったら、大混雑。改札口のシステムが不調らしい。私も引っかかってしまい、駅員のいる窓口に並んだ。持っているID乗車券を読み取ってもらい、やっと中へ入った。
 東海道線、昨日は上りだが、今日は下りだ。以前、間違えて危うく同じ時刻に発車する上りに乗りかけたことがあった。今日はそんなミスはなかったが、改札でのトラブルで時間を食ってしまい、時間的な余裕はなかった。上りののぞみに乗車し、大阪へ向かった。
 10月の咸臨丸サミットへ向けて、お会いしたことのないパネラーに挨拶するのが今日の目的だった。当日、直前にご挨拶して、パネルディスカッションの進め方を説明してもどうにかなるかもしれない。しかし、それでは、私の流儀にかなわない。ベストを尽くして、失敗したときの後悔を減らす。というのは、保険的な考え方で、やはり主目的は、パネルディスカッションを成功させたい、大成功に終わらせたいのだ。
 JR大阪駅近くのヒルトン大阪で待ち合わせていた。無料のソファに既に座っておられ、1時間みっちりと交流できた。豊富な人生経験を語ってくださる中で、その方の信念を強く感じることができた。組織のトップとしてふさわしい方だと思った。
 お別れし、近くで軽く昼食を摂ったあと、近畿和算ゼミに参加した。加須大会で会った人もいて、和算の世界にどっぷり浸っている自分を再認識した。ここでは毎年12月に講演をさせてもらっているっが、日程を確認できた。他のイベントと連続していて、また超多忙になりそうだ。
 今日は往復の新幹線の中で書き直すために自分の原稿を読んだ。実は、昨日の新幹線でもiPadminiで読んだのだが、最後まで読み通せなかった。情けない。
 それはともかく、今朝、行きの新幹線にやっと乗車して席に着いた直後、愛用の数珠というかブレスレット、パワーストーンの腕飾りがバラバラになった。糸が切れたのである。急いで拾い集めたが、すべてを回収することができなかった。帰宅してワイフから「あなたを守る役目を果たしたからそうなったのよ」と慰められた。そうなのかもしれない。
 晩御飯は、大阪へ行くと必ず買ってくるホーライ(551)の豚まん、シューマイ、ぎょうざだった。ワイフがビールを出したので、酔っぱらってしまった。

9月15日(日)「楠木さんの新作・・・の風さん」
 ヤフオクで落札した商品の送料の連絡があったので、支払い手続きをした。ここまでスムーズに行ったのでひと安心。
 月2回の肥料をサンセベリアの根元に注入した。亀は猛暑で熱中症になりかけていたが、何とか回復し、このサンセベリアは直接日光が当たらないので、ここまで元気だ。生き物をケアするのは大変だ。
 徒歩で投函に行ったら、ポストのところに郵便局の赤い車がとまっていた。ポストの近くの家に郵便物を運んできたらしい。顔見知りの配達員だったので、「投函に来ました」と声をかけたら、「今日は日曜日だからもう回収は来ませんよ。預かっておきましょう」と言ってくれた。「すみません。よろしく」というわけで、発送が1日遅れないですんだ。来月から郵便料金が値上がりするが、1年後にまた赤字に転落するという。失われた20年を取り戻すのに、何年かけることになるのか。色々と言いたいことは多いが、作家としては、再販制度を改めてほしい。書店で値下げしてでも売り切れるようにしないと、出版社は在庫処分をすることになり、私のところへは注文が来なくなる(実際、もうまるで来なくなった)。
 重要な電話をかけてから、ようやくSNSに書き込みができるようになった。フェイスブックに13日に鑑賞した五大路子さんの「富貴楼お倉」を書き、X(旧ツイッター)に楠木誠一郎さんの近著『出てこい、写楽!』(静山社)を書いた。
 Xには基本的に書評を載せている。江戸時代の書物問屋蔦屋重三郎と写楽の物語だが、現代をそっくり投影したような展開だった。時代考証という点で、楠木さんは妥協しないのが特徴である。それが私にはとてもうれしく、且つ勉強になることが多いのだが、いちおう確認してみた。謎の多い写楽というプロフィールは多少知っていた。引っ張り出した参考文献は、昭和53年(私が大学院に進学した年)に購入した集英社の浮世絵シリーズ『写楽』である。それから40年以上が経過しているので、写楽研究は当然進んでいるだろうが、私の知識は古いので、記憶の確認をしてみたわけだ。確かに、写楽に関する説がいくつかあって、今回の楠木さんの物語に応用されていることがわかった。
 もう一つ、物語の中で、子どもの力士、大童山文五郎の浮世絵を書くときに、あと2枚、複数の力士が並んだ浮世絵を書いて左右に並べ、3枚にして発売するというすごいアイデアがあり、これはきっと楠木さんのオリジナルだと確信して調べたのだが、確かに存在していた(笑)。歴史小説家は、史実をふまえつつ、いかにもありそうなフィクションを盛り込んで、自ら楽しむものである。私の推定が外れたのは残念だった(^_^;)。
 とは言え、この『出てこい、写楽!』、実に感動的なシーンで終わる。それは間違いなく楠木さんのオリジナルで、力量である。

9月16日(月)「DVD再生ソフトを半額でゲット・・・の風さん」
 12月の対面セミナーのため、9時からオンライン打ち合わせを1時間おこなった。5月にもやらせていただいた顧客なので、内容の確認と顧客からの要望をうかがうことがメインだった。前回、とても幸福な経験をさせていただいたことを感謝し、今回もワクワクしていると伝えた。本音である。おそらく、こういった気分を味わえるセミナーは、今後ないだろう。ボケ老人にとって幸福なことだ。
 キャメロンに満タン給油するため出かけたが、途中から雨がポツポツ降って来た。帰って来ると、住居地付近はまったく濡れておらず、洗濯物は無事だったし、午後の草刈りはできそうだった。
 ネットニュースで真田広之のエミー賞受賞が出ていた。関連するインタビュー動画も見たが、すばらしい英語でのやりとりで、彼が21年間現地で頑張ってきたことの一つの証明だと思った。世界レベルの仕事はできても、英語が話せないために、主張が伝わらないことが多い日本人だが、昨今は違うようだ。特にスポーツの世界でそれを見ることが多いが、芸術の世界もそうなりつつあるようだ。21世紀になり第二の開国なのかもしれない。わずか1年間の努力で、まともな英語の講演ができなかったと落胆していた私はまだまだ甘いのだと反省した。気を取り直して、また英語の勉強を始めようと思う。
 そんなタイミングで、ラッキーなことがあった。毎日色々なガチャをネットでやっているのだが、テレビでしか観られないDVDをパソコンでも観られるようにするソフトが半額になるのが(ダウンロード版)当選した。1年間の英語の勉強の中で、そういったDVDがあり、わざわざポータブルDVDプレイヤーを使って視聴しているうちに本体が壊れた。止むを得ず、新品を購入して、勉強を続けた。さっそく、ポイントを使って当選したソフトを入手し、インストールして、問題のDVDを執筆マシンに入れたら、見事に再生できた。
 夕方の草刈りができたのはよかったが、また生徒さんの駐車スペースが伸びていて、そこを刈ったので、一進一退が続いている。

9月17日(火)「今日も草刈り・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送って、ルーチン後、「いつやるの?」「今でしょ」みたいな感じで、完全武装で屋外作業へ出動。
 昨日に続けてなので、一進一退から脱却するべく、頑張ったが、まだダメ。あと1回やれば、外周部へ除草剤が散布できるだろう。
 しかし、それで終わりではない。主屋の周囲の植木類がまた乱雑に枝葉が伸びているのだ。庭のログキャビンの裏側も蔦が伸びているので、そこも刈らねばならない。あ〜、やることが多すぎる。
 草刈りをしたら疲れてしまい、昼食を摂るのが面倒になった。お茶碗1杯の冷や飯を電子レンジでチンして、ふりかけと生卵で胃袋におさめ、白湯を1杯飲んでおしまい。
 今日は名古屋の眼科へ行く日なので、キャメロンで途中駅まで行き、電車と地下鉄を乗り継いでたどり着いた。あいかわらず暑い。
 帰りはワイフと合流して、途中駅からキャメロンで帰宅する予定だったが、やや遅くなってしまったので、近所でナポリタンを食べて晩御飯にした。
 今日は日中、重要な電話もあったが、帰宅したら郵便物や宅配もどっさり届いていて、それらの処理で終わってしまった。

9月18日(水)「虚弱ボケ老人・・・の風さん」
 普通に起床しようとしたら激しいめまい。やば、ということで、もう少し睡眠をとることに。しかし、その後、何度か体を起こしても目が回ってしまう。はるか昔、小学生時代にもこんなことがあったような気がする。起床時ではなく、起きている時にだ。虚弱児だったのだろう(笑)。その後、社会の荒波にもまれているうちに、少しタフになった。しかし、ボケ老人化によって、大昔の状態に戻ってきたのかも。だとすると、今後、虚弱ボケ老人を名乗る必要がある。やれやれ。
 文美国保から電話があり、高額医療費の支給関係の確認をした。元々病院で支払う段階で手続きがしてあったので、さらに支給があるかは微妙だった。こういった手続きができるかどうかもボケのチェックになるし、わずかでも戻ったらラッキーだ。
 午後、キャメロンで外出。来週は出かけているので、ドラッグストアでサラちゃんのおやつを買い、同じく来週が予定だった内科クリニックへ行き、ついでに百均で買い物をして帰宅した。どうってこともない雑務をせっせとやっているのだが、現役だったらどうするのだろう、と思う。でも、現役時代はやっていたのだ。今よりはるかに多くのことをしかも効率的に。
 五大路子さんからいただいた、横浜夢座25周年、舞台生活50周年の『花のように、風のように、海のように』を読了した。はたから見ると順調だったような人生は、けっしてそうではなく、常に夢を抱いていたから、それがモチベーションとなり、また多くの人との出会いに感謝の気持ちを忘れなかったから、ここまでやって来られたのだということがわかった。X(旧ツイッター)に投稿した。
 その勢いで、FBにも1件投稿し、今日は閉店にしたのだが、虚弱ボケ老人の限界みたいな1日だったのかもしれない。

9月19日(木)「虚弱ボケ老人がんばる・・・の風さん」
 今日も忙しい。暑い(笑)。時間配分を考えて、屋外作業に出動した。
 生徒さんのクルマが1台とまっているが、今日のターゲットはそこではない。刈り残してあった難物と外周部だ。面積は広くないが、難しい場所ばかりだ。残念なことにバッテリー1個ですべて刈り取ることはできなかった。続けて、外周部に軽く除草剤を散布しておいた。明後日から天気が下り坂らしいので、今日は散布しておきたかった。シャワーで汗を流した。
 昼食はまた茶碗1杯のご飯を電子レンジでチンし、ふりかけと卵ご飯と白湯で終わり。
 2時にキャメロンで外出。来週レンタカーを借りるし、過密スケジュールを考えて、免許更新に行った。高齢者講習を終えているので、予約は不要だった。更新のプロセスはシステム化されているが、めったにやらないことなので、すいすいできる人はいない。女子警察官が常時サポートしている。私の場合、写真撮影までスムーズに行った。虚弱ボケ老人ではあるが、あらゆる場面で鍛えられている(笑)。眼鏡等の条件がなくなったのはうれしい。
 3時過ぎに帰宅し、コーヒーを淹れて飲む余裕すらあった。
 5時にワイフと墓参に行った。墓地は風がなく、水場の水もお湯である。暑さ寒さも彼岸までという言葉が死語になりそうな猛暑が続いている。
 今日はワイフのお母さんがデイサービスに行った2回目である。楽しかったと電話があった。良かった〜。虚弱ボケ老人の私がデイサービスを利用するのははたしていつだろうか。

9月20日(金)「虚弱ボケ老人の不注意・・・の風さん」
 猛暑は続いているが、そのおかげで屋外作業ができる。まだまだやることがある。
 午前中、ATM巡りをしてきた。キャメロンのシートカバー(料理用のエプロンの転用)が裂けているのが気になるが、更新している余裕がない。急いで帰宅してきた。
 午後、ルーチンと雑務をいくつかこなし、気温がある程度下がった5時に屋外作業に出動。もちろん、いつもの完全武装である。
 大きな剪定ばさみを準備して、庭のログキャビンの周囲の草や植木の枝葉の伐採を開始した。特にログキャビンの背後はフェンスとの間がせまく、入り込むことはできない。ふだん留守のお隣さんの敷地に入らせていただき(了解は以前から得ている)、そこから除草などをおこなう。車庫の上はデッキになっているが、ログキャビン側から伸びてきている枝葉を払う。車庫の中からも同様の作業をおこなったが、この時点で周囲がかなり暗くなっていた。日没時間を1時間勘違いしていた。そのとき、火花が散って、車庫のセンサーライトのケーブルを剪定ばさみで切断したことに気付いた。以前にも同じ過ちをしたことがある。暗かったからと言い訳はできない。不注意である。自分で設置したセンサーライトなので、明日、自分で補修することにした。
 続いて、除草剤を用意して、ログキャビンの裏側などの、残った雑草の葉っぱや茎を狙って散布した。
 その後、伐採して生じた雑草や枝葉を集めて、裏の土地へ運んだ。何度も何度も往復した。良い運動になったが、汗ぐっしょりだ。
 すべての片付けを終え、シャワーを浴びて、晩御飯前に、残っていた雑務をこなした。
 明日もやることが多い。鳴海風カンパニーは早めに閉店することにした。

9月21日(土)「リビングの照明を交換・・・の風さん」
 朝いちばんの仕事は屋外作業だ。除草剤散布が途中だったので、その残りをおこなった。いや、それよりも、大変だったのは、昨日のへまの後始末だ。駐車場のセンサーライトのケーブルを切断してしまったので、その補修をやらなければならない。昨夜からあれこれと方策を検討していたが、案は決まっていた。
 屋外監視カメラを設置したとき、屋外配線をカバーするためPF管という樹脂のパイプを使い、それが残っていた。今回、補修したあと、それでカバーすれば、耐久性も増すし、何よりも、目立たない黒いケーブルと違って、クリーム色なので、注意喚起になる。
 ケーブルは幸い撚線だったので、接続は楽だった。もちろんビニールテープでぐるぐる巻きにした。そのケーブルをPF管で保護したわけで、以前よりも完璧な仕上がりになった。
 昼食前に、徒歩で投函に行った。日差しが強いので、ネックファンを巻いて行ったが、空調服の時と同様に、暑い大気を吸って吐くだけなので、こういう時はあまり効果がない。
 ラーメンライスを食べたあと、いよいよ大仕事に取り掛かった。リビングのシャンデリア(インバーター式蛍光灯)をLEDのお洒落なシーリングライトに交換するのである。近々また出かけるので、行った先でポックリ逝った場合、残ったLEDシーリングライトを取り付けるのは、電気屋さんにしかできない。この工事は完了しておきたかった。
 これまで何度もシャンデリアの取り付け部分を分解して、工事のやり方を検討していた。単純な引っ掛けシーリングでないので、厄介である。一方、新しいLEDシーリングライトは、名前の通り引っ掛けシーリングを想定している。どのようにして引っ掻けシーリング部品を装着するかが課題だった。部品としてはローゼッとを新たに購入してあったし、角型の予備もある。検電器も用意してあったが、天井からの配線は白と黒に色分けされていたので、接地側(W)が白なのははっきりしている。工具類はありとあらゆるものがあり(笑)、DIYをやる準備は完璧だ。
 唯一の問題は体力だったが、気合でカバーした。
 工事には3時間以上かかった。点灯だけは確認し、片付けがすべて終了した時、ワイフが帰宅した。こういう大工事はワイフのいない時におこなうことにしている。見られると、いろいろとうるさい(笑)。
 照明が天井に貼りついた感じになったので、リビングの空間が広くなった感じがする。昼光色から暖色へと無段階で変えられるのもいい。残務があるが、おいおいやっていく。

9月22日(日)「ぐったりしていた1日・・・風さん」
 午前中は、昨日の残務(後片付け)とルーチンをしながら、 hairdye を強行した。月2回だが、出かける前にやるのがポイント。
 昼食後、久しぶりにサラちゃんの動画をインスタへ投稿した。
 このところ頑張り過ぎたためか、ぐったりしてきた。こういう時は、昼寝するに限る。書斎の新調した椅子はリクライニングできるし、オットマンもついているので、しばらく休眠。
 疲労から回復するのに、夕方までかかった。
 重要なメールをいくつか出し、あと2件、ネットで手続きをした。手続きの一つは、某クレジットカードの紙の支払い明細をやめ、ネット確認に変更すること。キャンペーンでキャッシュバックがあるので、今回手続きをした。もう一つは、虚弱ボケ老人の登録だ(笑)。ネット認知症検査を定期的に受けているが、リアルの検査を専門機関で無料で受けられるので、申し込んでおいた。認知症が始まったら、早めに対応しなければならない。事前に打つ手がたくさんある。手遅れには絶対にしたくない。
 最後に、先日読み残した自分の児童書の原稿を読了した。修正の方針は決まっているので、着手したら一気にやってしまいたい。と言っても、1週間後だ。
 ぐったりしていた1日だった。やれやれ。

9月23日(月)「北海道行きの準備・・・の風さん」
 新聞を取りに外へ出たら涼しい風が吹いていた。驚く自分に驚くほど、猛暑が当たり前になっていた。そうか。もう秋なんだ。これが普通の季節なんだ。と思いつつも、油断できないぞという気もする。
 明日から北海道へ行くので、その前の準備は多い。昨日だけではほとんど終わっていない。今日は、昼寝さえしなければはかどるだろう(笑)。とにかく雑務がてんこもりにたまっている。少しでも片付けておかないと、旅路の途中であえなくなった時、残された人たちが困る。と思いつつも、結局、帰って来て忙しくならないように、前もってやっていることも多いのだが(笑)。だめだ。徹底できていない。
 今回の旅行で、初めて経験することがある。LCC(Low Cost Carrier)の利用だ。一度は経験してみたかったが、これまでそういった機会がなかった。航空券の購入はとっくに終わっているので、搭乗方法を調べてみた。スマホのアプリと自動機によるチェックインだった。アプリをインストールした。空港で初めてやることではないな(苦笑)。往路は慣れているANAだが、念のため確認しておいた。こちらはスマホにアプリが入っている。すぐ搭乗便が表示され、手続きをすれば搭乗券も表示されるようだ。今回は往復共に荷物を預けるので、そのための時間的余裕がポイントになるだろう。
 あと、ホテルやレンタカーの予約状況を確認できる資料をプリントしておいた。デジタルだけでなく、紙でも持っていると安心だ。
 そんなこんなで準備を粛々と進めたが、まだかなり残ってしまった。

 次回の気まぐれ日記のアップは27日(金)になります。あしからず。
 
9月24日(火)「麺もスープも違う・・・の風さん」
 普通に起床。だめだ。疲労が取れていない。とにかく頑張らねば。今日、出発なのだ。
 とりあえずルーチン後、出発の準備。しかし、やることが多すぎる。歩いて投函にも行った。
 夕方のANAで新千歳へ行くので、スマホのアプリでオンラインチェックインをし、搭乗券を初めてアップルウォレットに入れてみた。
 キャリーバッグの車輪に長女が買ってくれたゴムのカバーを装着した。これで車輪は汚れないし、音も静かになるだろう。こんなのが欲しかった。
 いつもの講演旅行ではないので、荷物は少ない。しかし、キャリーバッグを空っぽにするわけにはいかないので、今回は衣類をたくさん詰めた。ワイフによると、当地の最低気温が向こうの最高気温だから、夜は寒いぞ、とのことだった。
 昨日のANAからのメールでは、搭乗機はほぼ満席なので、早めに空港に来るようにとのことだった。
 セントレアまでワイフに送ってもらったが、早すぎるくらいだった。出発ロビーまで速攻で行けた。キャリーバッグを預けたのだが(モバイルバッテリーを出すように言われた)、半分セルフだった。老人には生きにくい世の中になっていく。それから、せっかく装着した車輪のゴムカバーが車輪のカバーと干渉してしまい、すぐねじれて回転しなくなり、取り外さざるを得なかった。
 黄昏の空港である。ちょっぴり侘しい気分。人生も黄昏だからな。新千歳空港で買うお土産をYouTubeでチェックしたが、難しい。
 搭乗し、まもなくウトウトしてしまった。機内アナウンスで目が覚めたら、秋田上空だった。夕焼けが眩しい。高度11900mとのことだが、国際便みたいだ。メートルじゃなくてフィートの効き間違えかも。だとすると低空すぎる。おかしい。とは言え、眼下は男鹿半島。18年間過ごした秋田での青春時代がほろ苦く思い出される。やはり、人生の黄昏だ。
 新千歳で友人や知人にお土産を買って宅配で送ったが、ひと仕事だった。どんどんショップやレストランが閉まってしまい、食べると決めた札幌ラーメンが・・・。とりあえず開店しているラーメン屋に入って味噌ラーメンを食べたが、違う、麺もスープも味が違う。旭川ラーメンだった(笑)。
 JRに乗って、千歳駅まで行った。持参したtoicaを使った。もう何年も紙の切符を買ったことがないのに気が付いた。
 何とか今夜の安宿にチェックインできた。

9月25日(水)「公園内のホテル・・・の風さん」
 8時10分ホテル発のシャトルバスで新千歳空港へ。レンタカーの予約は9時からである。空港の受付カウンターは8時半から。
 送迎バスで営業所へ行った。これまでレンタカーと言ったら、軽自動車ばかり借りていた。安いからだ。今回は広い北海道を走るので、1000CCクラスにした。今夜のホテルまで目的地をナビにセットした、有料道路代が5600円と表示されたのでビックリ。そんなに長い距離を走るのだろうか。
 とにかく出発。まもなく道央道に入った。途中、景色の良いパーキングには必ず寄りながら走った。
 樽前PAから樽前山、有珠山PAから有珠山、八雲PAから噴火湾を。噴火の跡が多いな。八雲で昼食にしたので、函館入りが予定より遅れた。
 まっすぐ五稜郭へ向かった。ここは防御を兼ねた箱館奉行所だった。復元された奉行所を見学した。中に見たかった榎本武揚の書「入室m清風」があった。土方歳三の遺族に「彼は部屋に入ると、清々しい風が吹いてくるような男だった」という意味だ。そんな印象が確かにある。この後、登った五稜郭タワーに彼の写真と銅像があった。35歳で死んだカッコいい人物だ。
 今日は木古内町長を訪ねるので、電話で面会の時間調整をした。
 五稜郭の見学を1時間ほどで切り上げ、急いで木古内町役場へ向かった。
 町長を表敬訪問するのは、今月の咸臨丸サミットにわざわざ笠間まで来てくださるからだ。パネルディスカッションの後、ひと言、挨拶してもらうことになっている。私としては、どうしても事前に挨拶しておきたかった。
 そろそろ日が暮れかかっていた。
 228号線、海岸線を北上する途中にサラキ岬がある。この沖で咸臨丸が沈没したのだ。未だに引き上げられていない。初めて来たが、公園のようになっていて、モニュメントがたくさんあった。写真と動画をたくさん撮った。
 函館市内のファミレスで晩御飯を食べ、今夜の宿へ向かった。大沼公園内にある素敵なホテルだった。露天風呂から林に囲まれて、ライトアップされた沼が見えた。夢のような世界だった。

9月26日(木)「今日もひた走った・・・の風さん」
 今回の旅の特徴は時間的な余裕があまりないことだ。なので、ホテルはすべて朝食なしの素泊まりである。
 9時10分にホテルを出発した。道央道を通って大松内でおり、5号線を北上し、ニセコで編集者のグループと合流した。編集者たちは、蘭越町の自立訓練施設の復活のため来ていた。
 このとき、羊蹄山が間近に美しく見えたのだが、写真を撮らなかったので、雲がかかった写真ばかりになってしまった。昨日食べられなかった札幌ラーメンと同様に、これが今日最も悔やまれたことだ。
 ニセコ内のレストランで9人でランチを摂ったあと、蘭越町まで戻り、自立訓練施設を見学し、私は札幌へ向かった。
 230号線を走った。今回の旅行は大自然の中のドライブが多い。走りながら心配することは、いきなり熊が横断するのではないかぐらいなので、頭の中では、これまでの人生を振り返ってばかりいた。今現在の自分を昔の自分は全く想像できなかった。つまり、人生とは、先の見えない旅みたいなもので、不安でいっぱいだが、とにかく全力で突っ走るしかなかったと思うのだ。
 札幌に住む同級生の家を訪ねた。彼女の人生も私と同様に、すべて計算され尽くしていたものではかったろう。懸命に生きてきて、今がある。ただ、不思議なのは、同級生としての人生の交わりだけなら、今日ここで会っているなんてことはない。思い起こせば、卒業から再会まで45年近い月日があった。その後、十回と会うことはなく、今日の再会までまた5年以上の月日が経過していた。
 1時間後、二人で、私の知人宅へ向かった。拙著の出版がきっかけで、約2年半の、メールだけのお付き合いが続いている方だが、直接お目にかかるには最適なタイミングだったのだ。
 その方のお住まいは素敵なお屋敷で、料理も手料理、すべてが私にはとうてい真似できない理想的なリタイア生活ぶりだった。
 そのような良質な趣味の持ち主だったので、同級生を同伴したのは正解だった。お互いに趣味が合い、私にはできない会話で盛り上がったからだった。もちろん二人は初対面である。それなのに、すぐ近くに住んでいるのだ。これも人生の妙かもしれない。
 約3時間、ごちそうになり、私は初日泊まったホテルへ向かったが、雨が降り出した。札幌市内を走っているのだが、どのへんなのかまるで見当がつかない。途中からまた道央道に入り、安宿に無事着いた。
 すっかり疲れてしまい、早々に就寝することにした。

9月27日(金)「初めてのLCC・・・の風さん」
 目覚ましにセットした6時半より早く起床。朝食もつけていない宿だ。新千歳空港を離陸するまで、まだやることがあった。
 昨夜の雨はやんでいた。8時前にホテルをチェックアウトした。レンタカーの営業所に着く前に満タン給油した。3回目だが、函館が最も安く、次がニセコ、そして千歳が最も高いことはわかっていた。たったの9.2Lだった(笑)。私にしては上出来。
 営業所は8時半からと聞いていたが、すぐに対応が始まった。今回の走行距離は723kmだった。新千歳空港への送迎バスに乗ったら、空港の受付嬢も一緒だった。空港の受付も8時半から営業開始で、それに間に合うようにバスが発車したことがわかった。つまり、受付嬢も営業所にマイカーで通勤しているのだろう。表と裏と言うには大げさ過ぎるが、実際の現場で起きていることは、直接現場に行かないとわからないものだ。
 今日は生まれて初めてLCC( Low Cost Carrier 格安航空会社)に乗る。チェックイン(搭乗手続き)は、受付でもオンラインでも出発の90分前からで、まだできない。先に朝食を摂ろうとしたが、開いているレストランはほとんどなかった。サンドイッチとコーヒーで朝食を摂りながら、90分前になったので、iPhoneでオンラインチェックインをした。次は手荷物預けだ。
 初めてのLLCも楽しみだった。予想通り、受付カウンターははしっこにあった。混雑していて、行列はなかなか進まなかった。続けて、預ける手荷物のセキュリティチェックを受けた。時間がどんどん経過して気持ちが焦ってくる。
 身軽になったので、最後のお土産購入に向かったが、遠い(笑)。仕方なく、初日の夜に買い物したショップに入り、すばやく購入した。再びLLCのカウンターまで戻った。搭乗口もはしっこにあるのだ。LLCの機内持ち込み手荷物は2個までで重量も7kg以下に制限されている。そのチェックまであった。なので、土産物袋にもう一つの手荷物を押し込んで2個以下にした。
 その後、やたらとアナウンスやチェックがたくさんあり、それは機内に入ってからも続いた。よほど客質が悪いのか、注意事項が多い。CAに対する業務妨害は違法だから、もしあれば対応させてもらうと主張していた。
 席はリクライニング不可の安いシートではなかったが、利用することもなく、ほとんど居眠り状態だった。それだけ疲れていたのだ。
 無事にセントレアに着き、長い距離を歩いて到着ロビーに出た。LCCはもう経験したくないと思った。とにかくアナウンスとチェックがうるさすぎた。
 迎えに来てくれたワイフとランチにしながら、今回の旅の戦果を語った。北海道で着ていた長そでのままで帰って来たのだが、当地は暑い。空気も悪いらしく、鼻がぐずぐず言い出した。
 帰宅し、後片付けもそこそこに、疲労でまたダウンした。
 晩御飯の時にも戦果の続きを語ったが、やることはまだまだ多い。とりあえず、疲労を早くとらねば。

9月28日(土)「休養の1日・・・の風さん」
 早朝、金属ゴミの回収車が来るというので、7時前にちょっと起き出して、外したシャンデリアの本体を門の前に出してきた。
 しばらくして外から音が聞こえてきた。回収車が持って行く音だ。助かった。8時前にまた外から音が聞こえてきた。我が家のように外に出してある金属ゴミがないか、回っているようだ。ご苦労様(金属類は高く売れるので、現在は、こういう商売が成り立つ。大昔は、新聞紙などのゴミをトイレットペーパーと交換してくれる業者もいたなあ)。
 ゆっくり起きたが、まだ疲労は取れていない。
 午前中、ルーチンを少しやり、昼食後、電話を1本かけたあと、また横になったら、そのまま夕方まで寝てしまった。
 寝ている間に、今度の週末の講演のストーリーがひらめいたが、作成に着手する元気は出なかった。
 フェイスブックに北海道の旅の最後の記録を投稿した。売れない作家としては、SNSを駆使しなければならないのだが、その余裕がなかなかない。年内は、こういった超多忙状態が続きそうだ。しかし、それではいけない。来年以降の準備がある。ひそかに計画していることがある。ハードルは高いがやらねばならないことだ。人生、少しでも後悔しないために。

9月29日(日)「いよいよ秋到来か・・・の風さん」
 知人(中国人)が名古屋にいると連絡があり、会おうと思っていた。電話したら、一時的な滞在ではなく、生活圏をこちらに戻すという。新しいビジネスを考えているとのことで、前途多難が予想される。協力、応援したいが、私も非力だ。できることを探らねば。
 すぐに会う必要がなくなったので、私の多忙な10月はやめて、11月以降にしたいと提案した。
 疲労感がまだ残っているので、ゆっくり起動することにした。
 ルーチンと雑務を少しした。北海道の旅の後片付けはまだ終わらない。
 1週間後の講演の準備が重要だが、その前に気になることがある。児童書の原稿の修正だ。方向とやることは決まっているので、とにかく着手し、どれくらいかかりそうか、見当をつける必要がある。
 機械的にできそうなことから手を付けてみた。集中してやったが、半分しかできなかった。それでも、原稿枚数の削減がけっこう大変だという感触はつかんだ。大きな手を打つ必要がある。
 涼しかった北海道。帰ってきたら、当地は当然暑く感じた。それでも、猛暑にならない。小雨もときおりぱらつく。いよいよ秋に突入しそうだ。しかし、人生の秋はもう深い。ぼやぼやしていると冬になる。

9月30日(月)「講演の準備開始・・・の風さん」
 午前中にGSへ行き、週末の京都行きのため満タン給油してきた。
 月初ルーチンに備え、2台の除湿機にたまった水を捨て、カレンダーも先に更新しておいた。
 9月末は、年に2回のゴキの毒エサ更新である。購入してあった屋内用と屋外用の一つ一つに24.9と書き込んだ。これらは1年後に交換される。
 今日も疲労が抜け切れていないので、午後の昼寝後、毒エサの更新作業に取り掛かった。涼しいのでふだん着のままだ。屋外でぼやぼやしていたら2か所蚊に刺された。屋内では汗をかくほど暑かった。現実の気候は初秋というより晩夏なのだろう。
 来月も忙しい。週末は京都で講演するので、その準備に取り掛かった。日本数学史学会主催で、『塵劫記』刊行400年記念連続シンポジウムの第1回目である。2027年が『塵劫記』の初版発行から400年になるので、今年から周知も含めてイベントが始まる。私自身はすでに開始している。たとえば6月6日の京都二尊院での講演はその一つである。できれば、和算ブームを起こしたい。
 晩御飯後は、昨日に続いて、児童書の原稿の修正をおこなった。機械的な作業をすべて終え、やはりかなりテコ入れしないと、原稿枚数は減らせないことがわかった。


2024年10月はここ(まだリンクしていません)

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